2011年9月7日水曜日

陽光で、もう蒸発しそう—エフェス遺跡

 トルコ屈指のローマ遺跡「エフェス」は見応えがある。もっと実感に基づいて言うなら「歩き応え」と言った方が正確かもしれない。とにかく規模が大きくて、水を持たずに敷地に入ったら、エーゲ海沿岸の強烈な陽光を受けて危うく蒸発しそうになった。

 イスタンブールから、飛行機でトルコ第3の都市イズミールへ。この航空路線は30分〜1時間に1本という頻度で出ている。その引っ切りなしに運行する様子には、日本の電車山手線や地下鉄御堂筋線を思い出した。

 イズミールから1時間弱、電車に揺られセルチュクに。そこからはバスで遺跡に向かう。車中で知り合ったトルコ人の1人は、兄弟がナント20人もいると教えてくれた。そのときは1人の母親が20人全員を生んだのかと思ったけど、思い返すと父親に奥さんがたくさんいるということなのだろう。20人兄弟なんて——。一夫多妻制のイスラム圏にいるのだ、という実感が沸いてきた。

 トルコの観光施設はどこでもそうだけど、入場料の支払いはクレジットカードが使える。旅行者には、両替の手間が省けてうれしい。

 ゲートを越えてしばらく歩くと、左手に山が見えてくる。よく見ると山肌に石がびっしり敷き詰められている。これがエフェス遺跡最大の見所、大劇場だ。観客席は急勾配で、上るのもひと苦労。立ち入り禁止の上半分も含めると、2万4000人もの収容人数を誇ったというのもうなづける。

 劇場遺跡の定番、真ん中の舞台でポンポン手を叩く仕草をしてみてた。「お〜、やっぱり素晴らしい音響だなあ」とひとりごちる。

 大劇場を起点に、遺跡は二つの方向に延びる。一つは幅11㍍、長さ500㍍の大通り。敷き詰められている石畳が、年月を経て光沢を帯びている。これまでに一体、何人の人がこの上を歩いたんだろう。石畳の下をのぞくと、どうやら水道管の跡らしいものが見えた。

 もう一つは、大劇場の裏山の斜面に沿って広がるエリア。ここの見所はなんといっても「図書館」。丸みを帯びた柱や壁の装飾は壮麗で、敷地内の他の遺構とは一線を画している。エジプトのアレキサンドリアもそうだったように、地中海沿岸で栄えた文明は知恵を重んじて図書館を大切にしていたんだ——とあらためて思う。

 遺跡を訪れる観光客も実にさまざま。地球の歩き方で「トラヤヌスの泉」と紹介されている遺構をながめていると、後から来た西欧人たちは「トライヤーノ」と呼んでいた。イタリアかスペインの人たちなんだろうか?

 と、こんな感じでローマ文明が誇る土木技術を、この遺跡ではまさに身体全体で感じられました。ローマ好きにはたまらない、オススメの旅先です。

 あと繰り返しになりますが、真夏に行かれる方は必ず水を持って敷地に入ってくださいね。

2011年8月19日金曜日

30㌢の距離で見たフェルメール

京都で開催中のフェルメール展に行ってきました。フェルメールとは、17世紀に活躍したオランダの画家。これまで名前を耳にすることはあっても、そのすごさまでは実感がありませんでした。「どれどれ、品定めでも——」なんていう軽い気持ちで会場に足を踏み入れましたが、同時代にオランダで描かれたほかの画家の作品も並んでいて、十分に楽しめました。

僕にとって絵画を見る機会が最も多いのは、海外旅行です。パリ、バチカン、ニューヨーク…。大都市には美術館があって、街歩きの行き先として欠かせないことが多いのです。でも、そういう場合は何かしらのテーマをもって見ることは難しいです。膨大な数の作品群は、時代や作風も多岐に及ぶからです。

今回の展示会は、作品数は約40とそう多くはないのですが、作品に関する説明を丁寧にしていくれているため、17世紀のオランダの世界観にどっぷりとつかることができました。とくに、展示会が「フェルメールからのラブレター」というテーマを掲げているだけあって、手紙を切り口として作品を見せるという発想が面白かったです。当時、手紙は人と人をつなぐツールとして大きな役割を担っていました。画家たちは、作品の中に手紙を登場させることによって、いろいろな思いを込めたというのです。

それにしても17世紀前半というと、日本では長谷川等伯の松林図や、俵屋宗達の風神雷神図を思い浮かべます。描かないことで何かを表現したり、独特の世界観をかたちにしたりと、いずれの作品も世界の至宝であることに疑いの余地はありません。しかし、「写実」という一点を取り上げた場合、当時のオランダの作品には素直に「すごいなあ」と感嘆の声を上げてしまいました。

では、それらの作品の中で、フェルメールはどのように卓越しているのか? それに胸を張って言える答えを、僕は持ち合わせていません。たしかに「光の魔術師」と称される、その光と影の表現の手腕には舌を巻きましたが、ほかの画家の作品も上手いといえば上手いのです(笑)

しかし、たった一つ、フェルメール作品がずば抜けていると思ったのは、「表情」です。作品「手紙を読む青衣の女」は、間近で直に見て初めて気づいたのですが、女性が実に"えも言われぬ"表情をしているのです。「この女性が手にしている手紙は、何について書かれているんだろう。きっと待ち焦がれた恋人や夫からのものに違いない」。そんな思いを抱かずにはおられません。

悦び、嬉しさ、悲しみ…。それらの言葉でこの表情を言い表す必要なんて、ないんだと思います。なぜなら、言葉にできない感情を表現する方法として、芸術はあると思うからです。そこにこそ、世界中の人たちを引きつけて止まないフェルメールの魅力があるのではないでしょうか。

作品展は10月中旬まで京都市美術館で開催されています。近くに寄られた際は、一度、足を運ばれてみてはいかがでしょう。

2011年8月16日火曜日

「値切り」 それは知的なゲーム

 海外旅行を通して得た、値段交渉のコツをまとめました。

 日本では、買い物をするときに、商品に値札が付いているのが当たり前です。スーパーやコンビニで値切っている客は見かけません。でも、南アジアや中東、アフリカなどでは、店の商品に値札がついておらず、それぞれ価格交渉する必要があります。僕が行った国では、インドとエジプトがそうでした。

 交渉の難しさは国によって違います。エジプト人よりインド人の方が、明らかにタフな交渉相手でした。紅茶を値切って買ったつもりが、しばらくして店の奥から「あの日本人、こんな高い値段で買ったよ」という声が漏れ聞こえてきたことがありました。いっぱい食わしたつもりが、実はいっぱい食わされていたのです。

 そんな「一敗地にまみれる」経験をしたかと思えば、昨年行ったエジプトでは「名誉挽回」。お土産のスカーフを2枚買ったときは、あれこれと交渉した末に、僕が思った通りの予算で買い物をすることができました。お店の人には「あなた、なかなかヤルねえ」と言われ、ちょっとエヘンと咳払いをしたい気分になりました。

 そんなこんなで僕なりに得た価格交渉のコツは、
「欲しいモノをお店の人に悟られるな」です。

 店で買いたいモノを見つけたとします。ときには「うわあ、どうしても欲しいわ」なんていう代物に出合うこともあるでしょう。それでも、心の内をお店の人に察知されてはいけません。

 最初に値段を交渉する商品は、「本命ではない」「安め」のものを選びましょう。そして値段を互いに主張した後は、できるだけ相手に歩み寄らず、「徹底抗戦」の姿勢を表します。相手に「タフな相手だ」と印象づけるのです。

 交渉が膠着したら、今度は「本当はこれが欲しかったけれど、しょうがない。違うものにするよ」と、さりげなく本命の商品に話を移します。ここで「妥協してあげる」という姿勢をアピールすることが大切です。

 もうこれだけでも、本命の商品の交渉はやりやすくなっています。なぜなら、買い手の闘争心と妥協を目の当たりにした後に、店の人が高値をふっかけてくることはないからです。店側が最初に提示してくる値段が低ければ、最後に落ち着く値段もやはり低くなるのは当然です。

 また、交渉する商品をより高いものに移すことも、店側に喜ばれます。それだけ、店側が得る利益も大きくなるのですから。同じように、購入する点数を増やすことも、交渉を有利に運ぶ材料になります。

 上で話したスカーフを買ったときは、このようにして店の人の提示した価格で買うことにしました。「ただし、もう一枚同じものを付けてね」とこちらも条件を出して。

 別れ際、店の人と握手をしながら思いました。「値段の交渉って一種のコミュニケーションじゃん。ゲームみたいに頭を使うし、なかなか楽しい」

2011年6月18日土曜日

「夫婦善哉」と自由軒

織田作之助の短編小説「夫婦善哉」を手に取ったのは、ひょんなことがきっかけだった。

 午後9時ごろ、お腹を空かして大阪・ミナミの商店街を歩いていると、聞き覚えのある名の飲食店に出くわした。「自由軒」。一風変わったカレーを出す店として、テレビなどでも取り上げられている店だ。ものは試しに入ってみた。

「大衆洋食」と銘打つだけあって、店内は庶民的な雰囲気だ。壁には西洋画が何点か掛かっていて、老舗の上品さも持ち合わせていた。聞くと店は今年、91年目を迎えたという。

看板メニュー「名物カレー(650円)」を注文した。店員さんは「インディアン」と厨房に声を掛けた。「インド仕込みの本格派が出てくるんだろうか」。否応なく期待が高まる。

 出てきた料理は、ルーとライスが分けられた一般的なカレーとは違う。ご飯はすでにカレーと合わさっており、その上に生卵が載っている。ピラフみたいにパサパサした食感を予想して口に運んだが、実際には水分をたくさん含んで(いい意味で)ベッタリしていた。具は牛肉とタマネギだけと、いたってシンプル。香辛料がよく効いており、辛い物好きのぼくには食べ応えがあった。

あらためて店内を見渡すと、一枚の額が目に付いた。「トラは死んで皮をのこす。織田作死んでカレーライスをのこす——自由軒本店 織田作文学発祥の地」と書かれていた。「大阪らしく誇張された表現やなあ」と笑ってしまったけれど、メニューに誇りを持っているお店の姿勢には好感を持った。また同時に、店の精神的な支えとなっている織田作之助とはどんな作家なのか、興味が沸いてきた。その数日後、「夫婦善哉」の文庫を買った。

———————————————


 物語の舞台は、昭和初期の大阪。借金のある家で育った蝶子が、芸者として働きだすところから始まる。そこで知り合った妻子持ちの男・柳吉と恋仲になり、夫婦として年月を経る姿を描いている。

柳吉は、いわゆるダメな男だ。化粧品の卸問屋の跡取りに生まれながら、蝶子に入れ込んで離婚し、跡取りの座も妹の婿養子に奪われてしまう。金に困ると妹に金をせびりに行く。蝶子がお座敷に上がって稼いだり、蝶子と一緒にさまざまな商売して貯めた金も、その都度散財してしまう。

でも、どこか憎めない。手元にあるお金は、とっておけば生活が楽になるのに、カフエ(飲み屋)の女性にチップとして弾んでしまう。損得勘定ができない姿に、「バカだなあ」と思いつつも、「逆に日々の自分は損得勘定に縛られ過ぎてないか?」と一抹の憧れを抱いてしまった。

蝶子は、健気という言葉がぴったりくる女性だ。これだけダメな柳吉に、なんべん裏切られても付いて行く。生活が苦しくても、「妾にならないか?」なんていう話には目もくれない。逆境にあっても矜持、プライドを手放さない様は格好いい。

柳吉のわがままに振り回され、蝶子は母の死に際に立ち会えない。絶望の淵に立たされた蝶子は、物心両面の苦しさから抜け出そうとガス自殺を試みる。「男女が一緒にいる、夫婦として生きる意味ってなんだろう?」。読みながら、そんな鬱屈した思いが頭をもたげてくる。しかし物語は最後、夫婦が法善寺横町の店で仲睦まじく善哉を食べるシーンで幕を閉じ、読み手をホッとさせてくれる。

「この物語を通して、作者は一体何を伝えたかったんだろう?」。そんな問いを自分の中で繰り返しながら、タイトルの「善哉」という言葉について調べてみた。そこで意外な事実を知り、ぼくは思わずはたと膝を打った。

善哉は、音読みでは「ゼンザイ」だけれど、訓読みは「ヨキカナ」。つまり、この小説は、「夫婦よきかな」というテーマのもと、男女がともに生きる素晴らしさを追究していたのだ。

それぞれのシーンでは、幸せどころか、苦しい境遇にある男女を描きながら、物語全体としては夫婦への“賛歌”としてまとめ上げてしまう。そんな織田作之助の腕前に脱帽です。

2011年6月8日水曜日

歴史を「逆流」する

NHK・Eテレの番組「さかのぼり日本史」は画期的だ。といっても内容が、ではない。歴史を切り取る手法が、である。

これまで歴史を学ぶ方法は、時間の流れに沿って「時代を下る」のが当たり前だった。中学や高校の歴史の授業では、ネアンデルタール人とか石器時代とかから始まり、古代、中世、近世と次第に現在に近付いてくる。
そういう歴史のたどり方は、社会全体についてだけではなく、個人についても同じことが言える。例えば、結婚式で流される新郎や新婦の生い立ちの映像は、赤ちゃん時代から始まって、成長をなぞりながら二人の出会いをゴールとして描くのがお決まりだ。

でもこの番組は、そのタイトルの通りに時代をさかのぼる。まず最初は戦後の政治を、その次に太平洋戦争、日中戦争、満州事変を取り上げる。そして昭和初期の政党政治が続く、といった流れなのだ。
このやり方の良い点は二つある。ひとつは「なぜそうなったの?」といった疑問や関心を、学ぶ人により強く、強烈に持たせられること。これまで通り、普通に歴史を学ぶと「原因→結果」という順序で出来事を知ることになり、「結果」を知るときには既に「原因」が当たり前の事柄になってしまっているのだ。戦争など起こってしまった事について、「原因を知りたい」という“渇き”を持つ事は、歴史が動くメカニズムにより焦点を当てることになる。
次に、近現代の学習にしっかりと時間を割けることもメリットだ。従来は、原始時代〜江戸時代に大半の時間を費やし、近現代は余った時間でささっとやる傾向があった。ところが、時代をさかのぼる形式だと、近現代が真っ先に扱う時代になるため、十分な時間を割けるようになる。

近現代を振り返るということは、日本がさまざまな犠牲を払いながらも、民主主義を定着させてきたプロセスをおさらいすることでもある。「民主主義が上手く機能しない」という現在の日本が抱える最大の問題の「解」は、この時代にじっくりと真っ正面から向き合うことから生まれる。
歴史の学習が、現代社会の改善に役立つチャンスだ。学校教育の現場でも、歴史を逆流してみたらどうかな?

2011年2月28日月曜日

アカデミー賞にチャチャ入れる

 「英国王のスピーチ」が米アカデミー賞の作品賞を取った。受賞の知らせを聞いたその足で、早速、映画館に向かった。出演者の顔のどアップを多用するカメラワークとか、オシャレなセットとかに興味を持ったんだけれど、それらよりも目を(耳を)引いたのが「音楽」だった。
 簡単にあらすじについて触れておくと、舞台は第二次世界大戦期の英国。国王のジョージ6世は、今にも迫り来るナチスドイツへの徹底抗戦を、スピーチを通して国民に訴える。言語療法士ライオネル・ローグの助けを借りて、吃音という障害の克服に挑む姿を描いている。
 山場であるスピーチシーンの見せ方が工夫していた。ライオネルを指揮者、ジョージ6世を演奏者に見立てて、スピーチを「演奏会」として見せたのだ。音符に置き換わった言葉は、抑揚や強弱、そして小休止までもが音楽としての力を与えられ、演説にみなぎる気迫が映画の聴衆にまで伝わる仕組みだった。
 ここでBGMとして使われていたのが、ベートーベンの交響曲第7番第2楽章。「なんと良いセンス。演説の言葉を引き立てつつ、音楽自体にも力がある」。
 次にスピーチ後のホッとした感を伝えるときのBGMとして、これもまたシーンにぴったりの曲が流れた。ベートーベンのピアノ協奏曲第52楽章。でも、この曲名を思い出したあたりで、ハッと我に返った。
 ドイツと戦うぞ、と気合いを入れているまっ最中に、ドイツを代表する作曲家の音楽を流してよいものだろうか?それってありなの?

2011年1月8日土曜日

あの焼肉を訪ねて—神奈川・大和

焼肉店「天狗家」
 学生時代にこよなく愛した焼肉店が、神奈川・大和にある。「天狗家」。卒業からかれこれ10年近く経つけれど、ふとした拍子にあの味が恋しくなり、ふらっと立ち寄ってみた。

 夕食どきを過ぎた9時半という時間帯にもかかわらず、土曜日だということもあって、店には10組ほどの客が入店を待っていた。相変わらずの人気ぶりだ。昔は、向かいのガストで順番待ちをしたことを思い出した。「飲食店に入るのを飲食店で待つ」という、今考えても奇妙な行動だった。

ライス大
 かれこれ1時間近く経って、女性店員に席まで案内される。カルビ2人前とご飯大盛りを頼む。「この店のウリは、圧倒的な肉の量。昔はカルビ2人前でお腹がはち切れそうになったものだ」というぼんやりとした記憶を頼りにしたのだ。けれど、実際に注文したものが運ばれて来ると、自分の記憶に微妙なズレがあったことに気づいた。お腹を膨らしていたのは、肉の量もさることながら、てんこ盛りの白米だったのだ。

 ともあれ、目当ての肉をさっと軽く炙り、早速口に運んだ。肉の脂と甘口のタレが口の中で化学反応を繰り返し、脳内に甘美な時が流れる。厚みのある肉は繊維がしっかりしており、噛んでも噛んでも化学反応は止まらなかった。

カルビ2人前
 一般的に「美味しい焼肉」とは、どんなものを指すのだろうか。まずひとつは、日本人に最も好まれる霜降りだろう。「口に入れた途端、さっと溶けて消える」。そんな表現がぴったりのヤツ。これは、素材の良し悪しが決定的にモノを言う。神戸、松坂、宮崎など、産地が前面に出てくることが多い。

 次に挙げられるのが、さっぱりした赤身。良いものはナイフがスッと通るほど柔らかく、後味も尾を引かない。年を重ねるごとに、こちらに好みがシフトする人も多い。

 これらが焼肉の二大カテゴリーだが、天狗の肉は、どちらにも当てはまらない。位置するのは、第三のカテゴリー「B級グルメ」だ。前のふたつのように「素材のままを楽しむ」ということはせず(できず)、その代わりに揉みダレをはじめとする調味料の力を駆使して、素材の力を何倍にも引き立てる。また値段が張らないため、好きなだけ肉を注文してお腹を満たせるのも、意外とよその店では得られない食体験かもしれない。

 そんな店の特徴は、主な客層が20代という客層にもしっかりと表れている。煙に包まれながら勢いよく肉を掻き込む彼らの姿を目にして、一瞬、10年前の自分がそこにいるかのような錯覚にとらわれた。