京都で開催中のフェルメール展に行ってきました。フェルメールとは、17世紀に活躍したオランダの画家。これまで名前を耳にすることはあっても、そのすごさまでは実感がありませんでした。「どれどれ、品定めでも——」なんていう軽い気持ちで会場に足を踏み入れましたが、同時代にオランダで描かれたほかの画家の作品も並んでいて、十分に楽しめました。
僕にとって絵画を見る機会が最も多いのは、海外旅行です。パリ、バチカン、ニューヨーク…。大都市には美術館があって、街歩きの行き先として欠かせないことが多いのです。でも、そういう場合は何かしらのテーマをもって見ることは難しいです。膨大な数の作品群は、時代や作風も多岐に及ぶからです。
今回の展示会は、作品数は約40とそう多くはないのですが、作品に関する説明を丁寧にしていくれているため、17世紀のオランダの世界観にどっぷりとつかることができました。とくに、展示会が「フェルメールからのラブレター」というテーマを掲げているだけあって、手紙を切り口として作品を見せるという発想が面白かったです。当時、手紙は人と人をつなぐツールとして大きな役割を担っていました。画家たちは、作品の中に手紙を登場させることによって、いろいろな思いを込めたというのです。
それにしても17世紀前半というと、日本では長谷川等伯の松林図や、俵屋宗達の風神雷神図を思い浮かべます。描かないことで何かを表現したり、独特の世界観をかたちにしたりと、いずれの作品も世界の至宝であることに疑いの余地はありません。しかし、「写実」という一点を取り上げた場合、当時のオランダの作品には素直に「すごいなあ」と感嘆の声を上げてしまいました。
では、それらの作品の中で、フェルメールはどのように卓越しているのか? それに胸を張って言える答えを、僕は持ち合わせていません。たしかに「光の魔術師」と称される、その光と影の表現の手腕には舌を巻きましたが、ほかの画家の作品も上手いといえば上手いのです(笑)
しかし、たった一つ、フェルメール作品がずば抜けていると思ったのは、「表情」です。作品「手紙を読む青衣の女」は、間近で直に見て初めて気づいたのですが、女性が実に"えも言われぬ"表情をしているのです。「この女性が手にしている手紙は、何について書かれているんだろう。きっと待ち焦がれた恋人や夫からのものに違いない」。そんな思いを抱かずにはおられません。
悦び、嬉しさ、悲しみ…。それらの言葉でこの表情を言い表す必要なんて、ないんだと思います。なぜなら、言葉にできない感情を表現する方法として、芸術はあると思うからです。そこにこそ、世界中の人たちを引きつけて止まないフェルメールの魅力があるのではないでしょうか。
作品展は10月中旬まで京都市美術館で開催されています。近くに寄られた際は、一度、足を運ばれてみてはいかがでしょう。
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