2012年9月17日月曜日

日本のエディンバラ城—丸亀城

 石垣の美しさに、ぐっと見とれた。規模では熊本城に及ばないけれど、平地から天守閣の頂上に向かって石垣が積み重なっている姿はお見事。そのシルエットを眺めながらスコットランドの名城、エディンバラ城を思い出した。

石垣が美しい丸亀城

 雨が降ったり止んだりする中、傘を片手に城を上った。観光案内所の前には、「石垣の名城・丸亀城」という看板が立っていた。「やはり地元の人たちも石垣の美しさを誇りに思っているんだ」と納得する。

モザイク画のような石垣

 そこから100メートルほどの真っすぐな上り坂「見返り坂」を進むのだが、右手側には石垣が高くそびえ、迫ってくる。高さは22メートル。何十、何百という石垣のピースが、緩やかに曲面を作り上げる。

高さ22メートル

 天守閣にたどり着き、ガイドさんが教えてくれた。「美しい石垣はいくつかの条件がうまく重なって生まれた」
①近江(現在の滋賀県)の石垣職人の技。1641~1657年に藩主を務めた山崎家が、石工集団「穴太(あのう)衆」の職人をつれてきた
②豊富な石材。小豆島など瀬戸内海の島は、大阪城などに石垣用の石材を提供した。丸亀城の眼下には島々が浮かんでおり、「石垣の名城」となるのは自然の成り行きだった

西、南側も石垣は立派

 瓦には、約200年間藩主を務めた京極家の家紋「四つ目結」。お遍路をしていると、京極家から支援を受けていた寺の瓦にも、この家紋が見られる。もともとは京極家のルーツ、近江の佐々木家の家紋だったもの。そして時代が下って分家に伴い、変化が加わったデザインも登場する。地理や時間の隔たりにさらされながら、家紋は生き続けてきたのだ。

京極家の家紋「四つ目結」

 絶好の見晴らし。瀬戸内海に架かる瀬戸大橋の先には、観覧車が見える。鷲羽山ハイランドではないか! 「高校生のときに遠足でいったなあ」としばし感慨にふける。

瀬戸内海を一望できる

 城から下りたとき、雨が止み、雲間から陽光が差し込んだ。振り返ると石垣一つ一つが個性を持って輝き、巨大なモザイク画のようだった。

1 件のコメント:

  1. とても魅力的な記事でした!!
    また遊びに来ます!!
    ありがとうございます。。

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