夕方というにはまだちょっと早い時間帯。アレクサンドリア発の列車からラムセス駅に降り立つと、真っ先にイスラム地区に向けて歩を進めた。日本に出発するのはこの日の晩。それまでにどうしても見ておきたいエリアだったのだ。
30分以上歩いただろうか。地図上では1.5㌔ほどだったはずなのに、歩けども歩けどもそれらしき風景が見えてこない。「道を間違えたんだろうか?」 そう思いながらきょろきょろしていると、突然辺りが開け、大通りに出た。見ると、道路に沿って高さ3〜4㍍の壁がずーっと先まで続いている。
「これがイスラム地区か」。教えてもらう必要もなく、それが目的地だということは一目瞭然だった。市街地を取り囲んで延々と続く城壁からは、「外敵の侵入をはね返して永遠に存続するぞ」という、かつてここを拠点にしたイスラム王朝の"叫び"が聞こえてきた。
門をくぐると、世界が一変した。足下からは石畳が広がり、視線の先にある建物、建物からイスラムのテーストが感じられた。イスラム建築というと、ドーム型の屋根を連想する人も多いと思うけれど、ミナレットと呼ばれる「尖塔」もあちらこちらに建っていた。
ハーン・ハリーリと呼ばれる土産物店が軒を連ねる一画を越えた辺りで、1人の60歳代くらいのおっちゃんに声をかけ
られた。
「日本人?」。「そうだ」と答えると、男性は「トランジスタ」「柔道」と日本語で話し、背負い投げの型を小さくやってみせた。聞くと、おっちゃんはかつてエジプト軍に所属しており、そのときに日本人から直接柔道を教わったのだという。「トランジスタなんて言葉、ここのところめっきり耳にしなくなったなあ」なんて思いながら、見知らぬおっちゃんに対する警戒心は溶けていったのでした。
やっぱりジモティー(地元の人)は違う。日が暮れかかって見学時間が終わっているというのに、係の人に声をかけて開けてもらえるんだから。紹介してもらった建物は、かつて地元の名士がすんでいたもの。部屋を仕切る木製の窓や、天井一面には幾何学模様が細かーく施されている。端々にまで神経を通わせたデザインを目の当たりにして、イスラム文化の奥深さを肌で感じた。
屋上に出ると、周囲の建物が夕日を受けて輝いていた。
お茶目なおっちゃんは、屋上から飛び降りる動作をしながら「エジプトエアー」といっておどけて見せた。続いて僕も「ジャパン・エアライン」と言って飛び降りる仕草をした後、2人で大笑いした。
そうこうしているうちに、ふと時計に目をやると針が7時を指していた。「そろそろ行かなくては」。おっちゃんと固い握手を交わし、僕はタクシーに飛び乗った。